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信州の石仏 | ||
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02松本平の石仏
松本平の石仏
松本平の石仏群についてはすでに種々紹介されてきているが、調査がつづけられるにしたがって、後からどれだけのものが出てくるかわからないほど、その歴史は古いのである。
しかし、京都、奈良の文化と異って、いわゆる貴族的な高級なものではなく、大部分は土俗文化である。その多くは民衆の生活と直結した宗教的所産であるものが多い。信州の石仏群がわれわれに語るものは、かつての民間信仰の長く遠い歴史である。
明治この方新しい教育の影響を多分にうけて一般的に信州人は理智的であり、知性の高い人間であるかの如くいわれてきた。そのことは新しい信州をつくるためには大きな貢献となったことは確かであるが、その反面には信州の情操的文化は弱められたということもできると考えられる。案冷な気候と峨々たる山容にかこまれた環境が信州人を独立不覊で知性的な人間にしたとはいえるが、これは決定的な要素をなしているとは思えないのである。このような気候風土は信州にかぎったことではないからである。
現在、日本の他の地方に比較すると数多い民間信仰の対象であった石仏群を見るとき、われわれはむしろ信州の情操的文化の歴史こそが真の信州の民族的要素をなしているものではないかと考えるのである。それほどに無数に残されている石仏群はかつて隆盛であった民間信仰を物語るばかりでなく、その基盤にあった地方的人間性の特質を深く考えさせるのである。このことと民芸との間につながる問題は基本的に重要であるが、ここではしばらく措くことにする。いずれにせよ、真に信州を知るためには知性と情性の両面を研究することなしにはその結論を得ることは困難ではないかと思われるのである。
さて、信州で古いものを研究することになると仏教的遺産から離れることができない。すべてがそれと関連をもっているといっても過言ではない。また広く一般的にすぐれた宗教的美術工芸は、宗教の隆盛な時代に多く作られたことを考えるならば、その宗教が信州の片田舎の農村や山村の一隅にまで残した、素晴らしい痕跡としての石仏群を思うとき、日本仏教の歴史と大きさ、深さ、それに広さに今更のように驚き入るのである。そしてこの石仏の研究をすすめてゆこうとすると、現代人的なセンスの上に立つ一部の好事家的趣味とか、単なる考古学的興味以上の大きな問題に逢着しないわけにはいかないのである。
その工芸的問題だけを採り上げてみても、従来の基準から離れて、美学の根本にまでさかのぼってその観念を改めなければならぬところまで発展するであろう。これはまた、民芸の提唱する基本的な線につながる。換言すれば民芸精神の具体的な現われを、平凡低俗なものといわれてきた石仏群に見出すことにもなるのである。一般的に常識化した仏教的工芸は、この民間に伝承された石仏工芸と比較して改めて見直さなければならない問題を提起するであろう。そしてこれがまたわれわれに課せられた課題であるともいえる。しかも今日、往時の仏教の再興は望むべくもなく、かりにその隆盛をむかえることがあったとしても、このような山間の僻地にまで強く影響をもたらすであろうことは考えてみることさえできないとするならば、現在遺存されているこれらの石仏の文化的価値は、まことにかけがえのない文化的遺産として、歴史が認めざるを得ない日が来るのではあるまいか。
民衆の飾り気のない、ありのままの願い、憧がれ、祈りに応えるように、すぐ身近な場所で、村人たちの道連れとなってきたこれらの石仏たちは内には無常観をこめながらも、限りなく、親しく、美しく、かつ自由に幾世代も民衆と哀楽をともにしてきただけに、後代のわれわれにはこの上ない貴重な贈り物である。たとえばあの憤怒の形相の中にさえ感ぜられる稚気と親和感は東洋の仏教の逆説的な慈悲に通じ、しかも稚ない者たちにとっては恐怖の中に畏敬をも感じさせつつ、その入り混じった感情の中に育つものは、現実には見えない、人間にはわ
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